いつも行列ができているので敬遠してきた池袋のラーメン≪大≫。ここは≪二郎≫の系譜につらなる店です(よりこまかな分類では「堀切系」)。
きょうは昼食時に奇跡的に行列がなかったので、はじめて入店し、ラーメン(600円)、トッピングとして「やさい増し」を所望し、おいしくいただきました。
とんこつを基本だしにしていますが、とんこつの味はきわだっておらず、いちおう万人むけです。ただし、背脂がにが手なひとは敬遠したほうがよさそうです。
ラーメンを撮影するのに、カメラをたてにしてつかったのははじめてです。それほどかさ高いやさいの塔です。
また、麺は「ちぢれ」というほどはこまかくありませんが、いくらか波うっていて、かたい麺でした。おいしい。
25日の話のつづき。一昨日までで終わった来年度国家予算の「事業仕分け」について、おなじく一昨日、石原都知事は「白痴的」「先端技術に2位はない」などと酷評していた。それはそうだが、都立大を廃止したおまえが言うな、という気もする(旧都立大の研究環境はすばらしくめぐまれていたが、仕分けに抗議していた野依理事長のいる理化学研究所は、いまだに旧都立大の比ではない)。
事業仕分けでいちばんなっとくがいかないのは、最終日、防衛省のPAC3追加配備の予算にかんして、「軍事専門家でないので」といって判断をくださず、にわかに思考停止して逃亡したことだ。これにより、仕分け人たちは、はじめから仕分けをするに必要な知識も能力もなかったことをみずから白状したことになる。どのような結論になろうとも、なんらかの判断をくだしてこそ、当初標榜していた「聖域なき仕分け」というものになるのではなかろうか(仕分けの対象になる案件があらかじめしぼりこまれているという点では、この前提はくずれているのだが、それをべつにしても)。それとも、軍事専門家でないことを理由に逃亡した仕分け人たちは、軍事以外ならばすべてのことの専門家だとでも自称するつもりだろうか。
というわけで、25日に感じたのとはまたちがった種類のルサンチマンがわきあがってくるのだった。
もっとも、「事業仕分け」は今回はじめて実現した過程で、これによって本当の浪費が部分的なりとも縮減できる、という基本的な意義については、みとめるにやぶさかではない(<棒読み)。
来年度国家予算の「事業仕分け」がさかんに報道されている。3つの会場での審議のようすが動画で生中継され、ネットを介してみることができる。
「むだをなくす」というたてまえはうけがよく、まことに有効なパーフォーマンスだと思う。しかしそもそも、この「仕分け」の場に出される案件そのものがあらかじめ恣意的にしぼり込まれているのだから、切りやすいところを切るという印象は否定できない。
文部科学省が概算要求している国立大学の運営費交付金も、やはり見直しという結論になった。ここで減らすまでもなく、すでに毎年減らされてきているので、あらたに特段のショックをうけることはない。
それよりも、昨日、7つの旧帝国大学に早稲田、慶應をくわえた9大学の学長が、科学技術予算の削減は世界の潮流に逆行し、さらなる国家の危機を招くとして反対する共同声明を発表したことに注目した。
こういってはなんだが、予算面で旧帝大が格段に優遇されていることはあまりにも明らかで、端的な既得権益の牙城に見える。そのように旧帝大だけでかたまって声明を出すこと自体、露骨だと思わないでもない。
もともとめぐまれているひとたちが、従来にくらべてすこしばかり不利な状況になっているにすぎないのであって、その背後に、もっと苦しい思いをしている大多数の研究者が、たいして注目されないままでいることはまぎれもない事実だ。
しかしこれをいうと、学術振興に反するかのような外観になってしまうだろう。格言的 (gnomique) にいうなら、「ルサンチマンは2度傷つく運命にある」のだ。
20日にかけずりまわって予約したとおり、病院に行って新型インフルエンザの予防接種をうける。
しかし、予約といっても、時間の約束ではなく、きょう接種可能な人数に入れてもらっているだけなので、一般の受診者とともにえんえんまたされる。
10時ころ病院にはいって、問診票に記入して提出できたのが10時30分ころ。これから1時間はまつといわれたので、近所の電器量販店を見にいったり、さらにコーヒーをのんだりして時間をつぶす。
11時40分ころ待合室にもどったが、さらに1時間以上またされ、12時50分になってようやく予防接種をうけることができた。
針が細いのか、まったく痛くなかった。血もアルコールにひたした脱脂綿でひとふきしたらとまっていた。
会計をすませて娑婆にでると、13時をすぎていた。午前中いっぱいかかった感じだが、すでにこのために1日を消したような気分になる。なんともいえない消耗を感じる。
だいたい、待合室で長時間またされているうちに、ほんものの病人ならますますぐあいがわるくなるだろうし、そうでないひとも病気をうつされるのではないかと心配だ。
医師もそのあたりを気にしていたのか、「きょうはインフルエンザの患者はひとりもきていませんから、安心です」といっていた。
昼間は晴れ間もでたが、夕方からしぐれが降る。16時30分にはもう闇夜の暗さで、ふたたび冬眠に適した気候になった(笑)。
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
呼吸器専門の主治医から強く勧奨され、しかしそこの病院では当分できないといわれた(<どないやねん!)新型インフルエンザの予防接種。
昨日息子が予防接種をうけた病院では早いもの勝ちで接種しているという情報を得たことから、きょう、主治医をふたたび訪い、「優先接種対象者証明書」」(「基礎疾患のあるひと」に該当)を書いてもらって、その、早いもの勝ちだという病院に行った。しかし、そこでは、もうワクチンはなくなってしまったといわれた。
いったん自宅にもどって考えなおし、べつの病院に電話をするが、つながらない。やはり、よほど混んでいるのだろうか。おもいきってその病院に行ってみたところ、奇蹟的に来週火曜に予約がとれた。それも、予約可能な最後のひとりの枠だったという。やれやれ。
報道でも問題になっているように、ワクチンが大びんで供給されているので、日をきめてある程度人数をまとめて打たないとワクチンが無駄になるらしい。その制約を早いもの勝ちで切りぬける病院と、予約制で切りぬける病院があるわけだ。
全国的に、新型インフルエンザの予防接種は、国からの出荷量が優先接種対象者の人数をおおきく下回っていて、供給が大幅に不足しているそうだ。
わたしのかかりつけの病院も、呼吸器科があるせいで、ぜんそく患者だけでも500人以上いるらしく、まったく足りないそうだ。いまは優先接種対象者でも小学校3年生までの子どもだけにしか予約をとっていないときいた。
| 筑波大学では、ニホンの大学ではめずらしい3学期制をとっている(総合大学では筑波大学とICUだけだろう)。きょうで2学期の授業はおわり、わたしは今学期は試験をしないので、実質的にはいまから月末まで秋休みにはいる。 ほかの大学とちがって、2月末まで授業をしたり、9月はじめから授業をするときは、筑波大学の特異な学年暦をうらめしく思うが、秋休みがはじまるときだけは、筑波大学のこの特権を謳歌しようと思う。 ところできょう担当している授業のひとつで、学生から、「わたなべじゅんや」からこのような結果が出たという画像をみせてもらい、「なんでこんなに当たってるの ! ? 」と素でおどろいてしまった。 それは、「脳内メーカー」というもので、ずいぶんまえに話題になっていたが、きょうまで、自分の名まえを打ちこもうとはしなかったものだ。 ごらんの画像があますところなく示しているように、わたしは、無為安逸をこよなく愛する。当たりすぎで、こわい。 、、、それだけでは身もふたもないので、いちおうフォローすると、研究には、ある程度の閑暇が必要なのですよ、はい(笑)。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
いささかこどもじみていておはずかしいことだが、最近のひそかなたのしみは、朝、息子が小学校にむけて出発したあと、TVK(テレヴィ神奈川)で朝8時から8時30分まで再放送されているアニメ、『ペリーヌ物語』をみることだ。これを見おわってから、ようやくわたしはしごとにむかう(笑)。
はじめて放映されたのは1978年、わたしが11歳のときで、当時も毎回たのしみにみていたものだ。『あらいぐまラスカル』、『赤毛のアン』、『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』などとおなじく、日本アニメーションの制作による≪世界名作劇場≫シリーズにはいっているが、個人的には、同シリーズのなかでもっとも好きだった作品だ。
原作はエクトル・マロ Hector Mallot の≪En famille≫。児童文学としてニホン語に翻訳されたのは1941年と早く、『家なき娘』という題名で岩波文庫にはいった。
すでに原作、翻訳ともに著作権がきれているので、全文がネットで読める。
ちなみに、おなじマロの作品で、おなじく児童文学としてよく知られている『家なき子』は、≪Sans famille≫という原題に忠実。≪Sans famille≫と≪En famille≫では正反対だが、ニホン語の題名は「子」が「娘」にかわるだけ。 ことなる対称性を採用したとみるべきか。
『ペリーヌ物語』はふるいアニメだが、いま見ると、いまどきのコンピューターグラフィックを駆使したアニメとちがって、背景などがしっかりと水彩絵の具でえがかれていて、とてもきれいなのにおどろく。印象派の絵画の世界にまぎれこんだようで、いまみるとたいへんに新鮮だ。
そして、けなげなペリーヌのすがたをみているうちに、このアニメをはじめてみたこどものころにもどったようなこころもちになり、なみだが出てくるのだ。これを退行といわずしてなんという、という感じだが。
ちなみに、上で言及した全文データを掲載しているサイトは、その名も≪ペリーヌ物語の部屋≫!
やはり、わたしとおなじような愛好者はいるものだ。復刊ドットコムでの投票やリクエスト企画のよびかけもあり、こどものころの愛好者としては、自分で新訳でも出そうかとさえ思ってしまう (<半分冗談)。
You Tube にあがっていたので、歓喜して保存。ヴィヨンの詩にブラッサンスが曲をつけたもの。日夏耿之介のニホン語訳が古めかしさを伝えていて、やはりよい。
≪Ballade des dames du temps jadis≫ (François Villon)Dictes moy où, n'en quel pays,
Est Flora, la belle Rommaine;
Archipiada, ne Thaïs,
Qui fut sa cousine germaine;
Echo, parlant quand bruyt on maine
Dessus rivière ou sus estan,
Qui beaulté ot trop plus qu'humaine?
Mais où sont les neiges d'antan!Où est la très sage Helloïs,
Pour qui fut chastré et puis moyne
Pierre Esbaillart à Saint-Denis?
Pour son amour ot cest essoyne.
Semblablement, où est la royne
Qui commanda que Buridan
Fust gecté en ung sac en Saine?
Mais où sont les neiges d'antan!La royne Blanche comme lis,
Qui chantoit à voix de seraine;
Berte au grant pié, Bietris, Allis;
Haremburgis qui tint le Maine,
Et Jehanne, la bonne Lorraine,
Qu'Englois brulerent à Rouan;
Où sont elles, Vierge souvraine?
Mais où sont les neiges d'antan!Prince, n'enquerez de sepmaine
Où elles sont, ne de cest an,
Qu'à ce reffrain ne vous remaine:
Mais où sont les neiges d'antan!
「疇昔の美姫の歌」 日夏耿之介訳羅馬の麗人フロオラの姫は
いづこにおんわたり候らむ。
そのいと似かよへるタイイスと
アルキビアアダなど阿嬌いづちゆきけむ。
水沼幽澗(みぬませゝらぎ)に身がくりて
木魅(こだま)するエコオの姫は
麗容うつし世のものならず、
さはれ故歳(ふるとし)の雪やいづくぞ。閨秀エロイイズ尼いづくにある
サン・ドニにてピエル・エスバイヤアルの得度なせしは
その宮せられしが故とかや、
げにげに戀草こそはうらみつらみの種ぞかし。
ビュリダンを嚢中にとり籠め
セエヌ川に投じされと
宣り給ひけむ女王の君はいづれぞや。
さはれ故歳の雪やいづくぞ。海妖(シレエヌ)の歌口をなせしてふ
白百合の女王ブランシュの君
玉筍ベルタ、ビヤトリイス、アリスの姫、
メエヌを領ぜしアレムブルギスの公主
はた、ロオレエヌ方 貞婉の乙女ジャンヌは
英吉利びとこれをルウアンに焚殺せりき。
聖貞童女よ ここらなべての女人だち今いづくんかある。
さはれ故歳の雪やいづくぞ。反歌
ふるとしの雪やいづくとあざかへし
このとしこの日趾(あと)とふなゆめ。
| |
|
月曜は通常、午前中は立教大学、午後には白百合女子大学と、ふたつの大学をわたりあるいて非常勤講師稼業のかけもちをしている。 さきをいそぐので、昼食はいつもサンドウィッチ程度でかるくすませているが、ひさしぶりにしっかりたべたくなったので、新宿西口≪ほりうち≫に行って、ざるラーメンをたべる。 ふるくからある東京風のしょうゆラーメンがベースだが、麺がやや不定形で、汁のもちあげが多い。やや酸味がある一方で、辛味もきいており、バランスがよい(すこしくずれるともうだめだろう、という微妙なバランスのうえになりたっているように思う)。と、じぶんでもはずかしい評論口調になってしまった。 ところで、≪満来≫、≪ほりうち≫のふたつを同時に検索するとわかるが、この店は複雑な経緯をかかえている。 旧≪満来≫といえば、わたしは早くは1992年ころから遅くは2005年ころまで、新宿といえばここ、というほどよく行った店だ。 この旧≪満来≫がビルをたてかえることになり、しばらく仮店舗で営業していたが、そのあと店主が引退なさることになり、閉店された。 しばらくして、旧≪満来≫からののれん分けのかたちで、≪ほりうち≫が開店し、この店が後継ということで定まったように思われた。 しかし、≪満来≫も二代目が東高円寺で営業を再開し、さらに昨年、もとの場所にできていた新≪満来≫ビルにもどってきてしまった。至近距離で二代目とのれん分け店舗が競合することになってしまったのだ。 のれん分け、というといかにも亜流のように思うが、じっさいにはけっしてそうではない。 ≪ほりうち≫が営業をはじめてしばらくしてたころに行ってみたら、じつにおどろいたものだ。なんと、旧≪満来≫でいつも仕事の陣頭指揮をとっておられて、このかたが旧≪満来≫の店主だとばかり思い込んでいたかたが、じつはのれん分けをうけたがわの店主だったことがわかったのだ。 というわけで、愛着の点では断然≪ほりうち≫だ。ネット上でも、どちらかというと≪ほりうち≫のほうが旧≪満来≫のふるい味に近いという評判がある。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
晴れ。きのうほどではないが冷涼で、すごしやすい。
きょうは筑波大学は全学的に曜日振り替え(火曜扱い)のため、わたしは授業をしにいかなくてよい。
これをさいわいとして、午前中、かかりつけの呼吸器科にぜんそくの定期診療をうけにいった。
新型インフルエンザとすでに診断されたり、そのうたがいがあって来たひとたちで待合室はすわれないほどの超満員。水曜は午前のみの診療なので、よけいに混んでいるのだろう。
10時30分ころにつき、診てもらったら13時をすぎていた。わたしは定期受診だからよいが、熱をだしてきているひとは、待たされるうちにますます悪化することは必定だろう。また、待合室内での感染もこわいので、気やすめにマスクをする。
待合室のソファにすわれてからは、待つことは苦ではなかった。なかば寝ていた。背もたれに身をあずけて目をつぶり、うとうとしながらじっとしていると、なにかに似ているとおもった。ああ、そうだ、日曜にニホンにかえってきたときの飛行機のなかだ。こういうことにも慣れがあるのか。
医師の診察の結果、ぜんそくの経過はよいが、ぜんそくの患者が新型インフルエンザにかかると重症化しやすいので、予防接種をうけたほうがよいということになった。
しかしわたしが受診している呼吸器科は神奈川県にあり、神奈川県はまだ新型インフルエンザ予防接種の時期や方法がきまっていないらしい。わたしの住む東京都ではひとあしさきにはじまっているので、まず市役所にといあわせ、「優先接種対象者証明書」をもらってきて呼吸器科で証明をもらってから、市の指定するべつの病院に行って接種をうけてくださいといわれ、しんどいこっちゃ、と思う。しんどいというのは、わたしがしんどいのではなく、こういうシステムを考えつく精神構造がしんどいのだ。ぜんそく患者には(きちんとした検査のすえ)東京都の医療証が交付されているのだから、それを見せればよい、ということになぜしないのか。
帰宅後に市役所に電話してみたところ、問題の証明書は厚生労働省のホームページからダウンロードできるという。通常は病院側でダウンロードして記入してくれるという。
わたしのかかっている呼吸器科は、担当医師はおおいに信頼できるが、どうも事務方がろくなしごとをしないようなので、上記の市役所の表現でいう「通常」の病院にはあたらない。このようにおもえる事態は、以前にも起きた。
いずれにしても、その「通常でない病院」には、じぶんでダウンロードした書類をもってゆくしかない。しかしその「通常でない病院」は、きょうは午後は休みなので、後日行くしかない。しんどいこっちゃ(これはわたしが)。
| |||
|
パリで最後の夜に、かつてわたしの学生だったかたがたお2人といっしょにサン=ジャック通りのふるいレストラン≪Au Port Salut≫にゆき、メドックの赤ワインを飲みながら、羊肉のステーキをたべてきました。 ≪Au Port Salut≫はわたしが留学時代に親しんだ店でもありますが、あいかわらず、たいへんおいしい料理でした。 記憶のなかの味は美化されがちですが、それにもかかわらず、いまもおいしいと思えるので、とてもいい店なのだと思います。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
| ブザンソンでの研究会最後のうちあげは、エスプラナードに面したレストラン≪1802≫で、ほろほろ鳥ときのこのグラタンをたべながら、ラングドックのワインをのみました。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
|
ブザンソンで最後の日、まちなかを少しあるきまわりました。 万聖節は死者の祭でもあり、花屋では死者にささげる菊が多くうられていました(写真1まいめ)。 ドゥー川 Le Doubs をわたるとき、いろづいた木の葉がとてもきれいでした(2まいめ)。 川をわたって急な坂道をのぼると駅にたどりつき、ここからパリにむかいました(3まいめ)。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |
|
ともだちに手紙を出そうとおもって、ブザンソンの中央郵便局にゆくと、そこの通りの名まえがプルードン通り Rue Proudhon だったので、いたく感激しました。 しかし、プルードンにかんしては、ヴィクトル・ユゴーのようにわかりやすい痕跡はありませんでした。 演奏会などのできる市民会館にもプルードンの名まえが冠せられていました。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
|
ブザンソン市内にはヴィクトル・ユゴーの生家がのこっており、1階の一部がショウ・ウインドウのようになっています(写真1、2まいめ)。 おなじ広場に面した、Rue Victor Hugo がわのたてものは、2階の右から2番目の窓がフォス・フネートル(描かれた窓)で、ユゴーの絵がみえます。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||||
|
ブザンソンの中心街です。 1まいめの写真はエスプラナードで、万聖節のお祭りのためか、回転木馬などがでていました。 2まいめは目抜き通りの Grande Rue。 3まいめ以降はいずれも市役所前の9月8日広場でとったものです。そのうち、はじめのものはサン=ピエール教会、最後がうつくしい市役所です。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
| 今回の研究会の会場でもあった、フランシュ=コンテ大学院の校舎の入り口には、≪Ecole Doctorale : Langage, Espaces, Temps, Société≫という、かっこいい名まえが掲出されています。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| ||||
|
ブザンソンでは Granvelle という、とてもいい感じのホテルにとまりました。パリでとまったどのホテルよりよく、かつ安い (1泊51ユーロ) のは、やはり地方都市のいいところです。 ブザンソンのまちなかは古くからあるまちらしく、狭い範囲にすべてが凝縮されており、研究会の会場だった大学院へもホテルからあるいて5分くらいのところでした。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
|
ブザンソンにゆくにはリヨン駅からTGVにのります。プロヴァンスやラングドックが好きでよく旅行したわたしは、リヨン駅もなつかしい場所です。 万聖節の休暇にあたり、たいへん混雑していました。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||||
|
パリ留学時代に日常的な散歩コースだったリュクサンブール公園。 リュクサンブール公園のまんなかの池では、寒くなって噴水をとめているかわりに、ヨットを貸し出していて、あそべるようになっていました。 ヨットとカモがきそいで泳いでいます。 最後の写真は留学時代、非公式の勉強会会場にしていたなつかしいカフェ≪Royal Luxembourg≫。 なにやら過去をたしかめにきているような気分になります。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| ||
| ヴィルタヌーズの駅です。RERではなく、北駅からの近郊線です。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]
| |||
|
10月25日から11月1日までの日程で、フランスに出張してきました。 ブザンソンでの研究会が主目的ですが、9月に筑波にお越しいただいたメジュリ先生のおられるパリ第13大学を、まず10月26日の午前中にたずねました。 パリの北の郊外、サン=ドニ市のとなりのヴィルタヌーズ市で、寒々としたところではないかとおもっていましたが、意外と雰囲気がよく、ちょっと筑波を思い出すような感じでした。 偶然おなじ日の日刊紙 Parisien の紙面にパリ第13大学の記事がでていました。学生の就職などで苦労しているとのことで、いずこも同じという感でした。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.30 rel (2006.Mar.07) ]