http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/
news/20070423k0000m010120000c.html
からのコピー:
教育再生会議: 内部進学を3割まで削減 大学院改革政府の教育再生会議は22日、大学院の教育・研究活動を充実させる改革の素案をまとめた。同じ大学の学部から大学院へ進む「内部進学」を、現在の約7割から3割程度にまで減らす目標値を定める。また、学部学生のうち大学院への進学希望者に限り、学部を3年で卒業して院進学を認める方針を打ち出す。
23日午前、首相官邸で開く同会議の第3分科会(高等教育)に、大学院改革の検討組織「プロジェクトX」の素案として提示し、5月の第2次報告に盛り込む。
「内部進学」は、特に理工系の修士課程で8割超に上る。再生会議では「学部4年生の囲い込み」(中心メンバー)が人材交流の停滞や大学院の国際競争力の低下を招いたとの批判があった。
このため一時、「内部進学」を2割に制限することを検討。これに対し、東大など大学関係者から「学生の学習権を侵害する」と反対論が出たため、他大学への院進学には奨学金を交付するなどの奨励策も併記し、将来的な目標値として3割程度への抑制を目指すことになった。
院進学者の学部繰り上げ卒業は、法令で原則4年と決められている学部の修業年限を例外的に3年とし、代わりに修士課程(現行2年)を3年に延長することを認める。現行の「4年(学部)2年(修士)3年(博士)」というコースを、例外的に「3・3・2」とすることを認め、研究者の早期養成を促す。
また、海外の優秀な学生の招致や奨学金に政府開発援助(ODA)を活用し、個人・法人向けに大学への寄付税制を拡大するよう提唱する。【渡辺創】毎日新聞 2007年4月23日 3時00分
おなじ大学出身の大学院生を3割程度にへらすことをめざすという政策ですが、まるで意味がわかりません。大学院生の出身大学がどこであるかや、大学院進学のときに他大学にうつるかどうかといったことは、「大学院の教育・研究活動の充実」とはなんの因果関係もないと思いますね。
わたし自身、ことなる経歴をもつ大学院生と接していますが、まともな文脈では、出身大学のちがいを意識する機会はまったくありません。あえていえば、むかしの筑波大学にかんする冗談をいうときでしょうか。しかしそれとて、ジェネレーションギャップにより、だんだん当の筑波出身者にも理解してもらえなくなりつつあります (笑)。
それに、どうやって3割程度への抑制を実現しろというのでしょうか。たとえ大学院入試で80点をとっていても同大学出身の受験生なら不合格にして、たとえ60点であっても他大学出身の受験生を合格させろとでもいうのか、あるいは、同大学出身者の出願を門前払いしろとでもいうのか。教育再生会議はそのような不正を強要しようとしているのか。
このことにかぎらず、最近、教育再生会議の提言には、トンデモ科学や、差別助長が多いですね。母乳で育てなさいとか (笑)。
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連休は混雑をきらって閉居のつもりでしたが、活溌なこどもにとっては、幼稚園がやすみだと間がもちません。 そこできのうは、こどもをつれて、江ノ島水族館にいってきました。 来場者の空間をとりかこむように水槽が配置されているなど、魚や水棲動物をまぢかにみられるようにくふうされており、こどもだけでなくだれでも楽しめるところでした。 亀やあざらしはとても人なつっこく、顔をみせてまわっていました。 しかし、たいへんな混雑で、「魚が人を見物している」という言いふるされたことばがぴったりでした。 |
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やっぱり、りらりらの日のいちばでも、りらをかってもらえなかったエンテルくわん…。ママのハリネズミがたちょきんばこが、からっぽなんだってくわん。 しかたがないから、ミミナグサのおはなばたけでおしゃしんをとってもらったくわん。 |
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きょうは「リラリラの日」ですが、残念ながら、拙宅の庭のリラには、ことしは花は咲きそうにありません。 ちなみに、花が咲いた去年の写真はこちら。 |
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| きのう、つくばの≪パリ食堂≫でたべた、赤キャベツのシュークルート。 なまの赤キャベツを店でつけ込んでつくっていて、本格的な味でした。 まんなかのキャベツの下にかくれて見えませんが、豚肉もなかなかおいしい。アルザスでたべたことのある、Baeckoff をすこしおもいだすほどです。 |
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ルイ・ギユー ( Louis Guilloux, 1899-1980) の小説『黒い血』 (Le sang noir, 1935) は、これまではいっさい映像化されたことがなかったのですが、今回はじめてテレヴィドラマ化され、フランスのテレヴィ局 France 3 で一昨日14日、20時50分から放映されたようです。 ニホンにいて (いや、ニホンでも見る手段はあるのかもしれないけれど、わたしにはなくて)、みられなかったことがたいへんざんねんです。 小説の主人公はフランスのいなかのリセの哲学教師メルラン Merlin。生徒たちがつけたあだ名がクリピュール Cripure。メルランがよく言及するカントの『純粋理性批判』Critique de la raison pure の略。 これだけですでに、ジョルジュ・パラントがメルランのモデルになっていることに気づいたひとは、すでになかなかのパラントおたくです。あ、そんなのはわたしだけですね (ちなみに、現実のパラントにおしえ子たちがつけていたあだ名はショーペンハウアーを略したショーペン Schopen でした)。 サン=ブリユーのリセでパラントのおしえ子だった原作者のギユーは、いささか誇張をまじえながらも、かなりの程度メルランのなかにパラントの生きざまを投影しています。鋭敏でありながらも、社会性のきわめてとぼしい人格で、気むずかしい変わりもの、ついでに風貌も独特の大男としてえがかれています。 原作はフォリオ版で631ページにおよぶ大作で、わたしははずかしながら、3年まえに買ったにもかかわらず、まだとちゅうまでしか読んでいません。 原作はとても長いだけでなく、100を超える多数の登場人物がでてくることもあり、ドラマ化しづらいもののはずでしたが、ドラマでは主要な人物、数人に減らすことによって、ひとつの作品にまとめています。 前線からは遠いにもかかわらず、第1次世界大戦はいなかのまちにも影をおとしていました。メルランの同僚は、好戦的なだけであたまがからっぽの学監バビノー、社交家で教養のある、しかし偽善的な教員ナビュセがいて、メルランとはいつもするどく対立しています。 メルランのもとのおしえ子でもある、副学監モカは、メルランをたいへん尊敬しており、リセのなかでは唯一の理解者です。かれは叛逆的な詩をかきます。 メルランは文盲のマイアといっしょにくらしています。そしてへたなニンゲンよりよほどあいしている4匹の犬たちと。 France 3 のページもふくめて、このテレヴィドラマを紹介するページは、いずれもねたばれをさけて、ほんのさわりしかものがたりを書いていません。それなので、これ以上はどうなるのかわかりません (笑)。 テレヴィドラマの脚本をかいたのは監督でもあるペテル・カソヴィッツとミシェル・マルタン。かれらは『黒い血』を映像化する構想をなんと1960年代から話しあっていたそうです。 リュションで2月5日から11日まで開催された国際テレヴィ映画フェスティヴァルは、この作品にふたつの賞をあたえています。主演のリュフュに男優賞、そしてカソヴィッツとマルタンに脚本賞。 |
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昨年度まで慶應義塾大学でひらかれていた研究会が、今年度から上智大学でひらかれることになり、午後、ひさしぶりに上智大学に行きました。 四谷にはときどき来ているのですが (ライヴハウスの≪天窓≫とか)、上智大学には2001年にフランス文学会の春季大会で来て以来、6年ぶりで来ました。すっかりかわっていて、おどろきました。 聖イグナチオ教会はまったくあたらしい建物にとってかわっていたし、四谷駅にちかくて便利だった北門は、工事のため、かさだかいフェンスにおおわれて閉鎖されており、途方にくれてしまいました (写真1まいめ)。 赤坂のほうにあがってゆく、総武線沿いのほそい道をゆき、正門からはいればよいことにしばらくして気づきました。 研究会会場は2年まえにできたまあたらしい2号館。窓から迎賓館を見おろす位置です (写真2まいめ)。 18時すぎ、研究会がおわって西の空をみると、富士山のシルエットがみえました (写真3まいめ)。 写真は研究会のまえとあとにとったので、研究会そっちのけで写真をとっていたわけではありません (笑)。 研究会のあと、2次会でおいしい四川料理店≪麻辣房≫に11人づれでくりだし、あれこれ料理をたべ、ビールをのんで、いい気分になって帰宅。やっと、これを書きました。 |
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きょうはたのしいことがいくつもあり、こまったことがいくつもあり、うれしいことがいつくもあり、かなしいことがいくつもあり、たえず精神が波立って、浮沈のはげしい1日だった。まさか13日金曜日だからではないでしょうねえ。
ここに書いてもさしつかえないことだけを書くと、1992年以来15年ぶりで会うひとが研究室に突如たずねてきてくださって感激したこと (・∀・*) や、3限の授業にだれもこなくて驚愕し落胆したこと ( il||li _| ̄|○ il||li)、 などなど。いや、しかし、書けないことの方がはるかに多いなあ。
だいたい、季節の変わり目のせいか、この時期はまいとしもともと不調だ。しかもニホンではこの時期に新年度が始動する。あらたな状況がはじまり、多忙もおしよせてくる。
こんな情態のうえにゆさぶりがかかると、わたしのろくでもない精神はたちまちあふれてしまう。というわけで、きょうの日中はほとんどたえずパニックをおこしていた。すべてがぎこちない。いや、いまだって、なんだか言っていることも変でしょう (苦笑)。
変なことをいうついでに、ひらきなおっていうと、4月なかばに復活祭の休暇があるのは、ヨーロッパのながねんの叡智ではないでしょうか。それにひきかえ、ニホンは、この時期に新年度ですよ。もう、オワタ。
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拙宅の庭のロマラン (ローズマリー) です。ことしも花がさきました。青むらさきのちいさな花で、みどりの葉によく映え、とても好きです。 ロマランは、ただ苗木を植えただけで、文字どおりなんの世話もしていないのですが、じつによく育ち、たまに料理のかおりづけにつかうくらいではまったく減らないどころか、どんどんふえています。 まず地を這い、ひろがったところから随所で上にも枝をのばします。3年まえに植えた1本の苗木が、いまではたてよこ2メートルほどにひろがっています。 ***** きょう4月13日は祖父母の命日です。祖父と祖母は、まったくの偶然で、3年をへだてたおなじ日に亡くなりました。 こういうと気はずかしいのですが、わたしはそのことを、祖父母のあいだにかよいあっていた愛情のもたらした奇蹟のように信じています。 |
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くもりのち雨。雨はつめたく、夜には冬に逆もどりしたように寒くなる。 9時から20時まで、うちつづく会議と新入生オリエンテーションの両面作戦にあけくれた、ながい1日だった。 かえりみち、5人づれで≪楼外楼≫つくば店にたちより、紹興酒をのんでからだをあたためる。 ふわりと、ほどよく酔い、たいへんだった1日はすべて、意識の背景に押しやられる。 |
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| なにやら観察日記のようになってきましたが、今朝はこんな感じでした。まんなかにまだひらいていない花びらがありますが、ほぼ満開でしょう。 |
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| 直前の記事で言及したばかりでしたが、ちょうどきょう、花がひらきはじめました。 |
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| 3月6日の記事で白水仙より「はるかにおそく咲く」と紹介した、拙宅の庭の黄水仙ですが、ようやくつぼみがふくらんできました。 |
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既にディスコンになってしまったsigma mirror 600mm F8で桜を撮影してみました。 このレンズはかなり前に入手したもののピントの山をつかみにくい上、望遠のため、手ブレがおきやすく、どうもアンダーになりがちでとても手に余る状態でしたが、最近、ようやくコツっぽいものがつかまるようになり、時々活躍しています。 デジタルっぽくないやわらかい描写がとてもよく、背景を整理していれば、ミラー独特のリングボケも風情があります。 現在、ミラーレンズはわずかしかラインアップがないのですが、ソニーからオートフォーカスをサポートしているレンズがあるのは特筆に値します。このレンズのためだけにソニーのカメラが欲しいくらいだったりします。 F8という暗いレンズがデジタルの高感度処理で再び活躍できるのはとても喜ばしいことです。 |
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筑波でしごと (会議) をすませたあと、新宿で J さんとまちあわせて、長年の懸案だった≪思い出横丁≫にゆく。 なぜ「懸案」だったかというと、こともあろうに、思い出横丁のなかでは珈琲屋の≪但馬屋≫にしか行ったことがなくて、これでは酒徒を名乗れないだろう、という理由。 1軒め。≪埼玉屋≫でもつ焼き、おでんをたべながら、ビールと栗焼酎≪ダバダ火振≫をのむ。写真2まいめ。 2軒め。≪ひな鳥≫でもつ煮やさつま揚げをたべながらニホン酒の熱燗をのむ。写真3まいめ。 数年前火事を出したこともあり、ここにも再開発の予定があるそうです。 あんまりこぎれいになってほしくないなあ。 |
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きょう正午ころ、日本学生支援機構 (旧:日本育英会) 返還免除課に電話し、つぎのようなといあわせをした。
「育英会奨学金の特別免除をめざして、現在2年に1度『免除職在職届』を出しているのですが、そしてことしはきまって出す年にはあたらないのですが、この4月から『助教授』の職名が一律に『准教授』に変更されたことをうけて、『免除職異動届』を提出する必要はあるでしょうか」
担当者からは、「一律の職名変更のみの場合は提出の必要はありません。来年の『在職届』にそのことを書いてください」とのおこたえがかえってきた。
想像するに、いま全国の大学教員から、何百件という同様のといあわせが殺到していることだろう。なんというわずらわしいことか。愚かしきかな職名変更。
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来週おこなわれる人文学類の新入生オリエンテーションの打ち合わせがあり、出勤。 といっても、わたしの前任校とちがって、期間全般にわたって上級生のサポートが強力にあり、じつは教員としては比較的らくではないかと思う。 画像は学生の委員会が作成したパンフレット。瀟洒な意匠で、なかみもよくできていて、「わたしが人文学類の学生だったころは、こんなのはなかったなあ」と感心する。 |
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きょうはわたしのいとこの命日にあたります。七回忌の仏事に列するため、こどもをつれて家族で浜松に日帰りしました。 浜松にくるのはたいへんひさしぶりで、こどもがうまれてからは初めてです。 仏事がおこなわれた寺は、風とひかりがさわやかな高台に位置していて、ことしもまた、さくらの花が散りかかっていました。 午まえ、墓にまいったあとから、くもっていた空から陽がさしはじめ、浜松らしいあたたかさがすこしずつもどってきました。 境内から浜松のまちをみおろしながら、まる6年まえを思いおこしました。 2001年のきょう、なくなったいとこは、わたしとはとしも近く、性格も、趣味も、似たところがありました。 にもかかわらず、なくなる2日まえ、あとからおもえばさいごに電話をもらい、歓語したとき、わたしはおろかにも、いとこがそれ以前にくらべるとかなり元気になったものだ、とよろこんでいたものでした。 そのことをおもうたびに、いいあらわしようのない悔恨がわきあがってきます。 そのようなわけで、浜松再訪は、さながら巡礼のようなこころもちでした。 この6年は精神的にゆとりがなく、追われるようにすごしてきましたが、それでいて、いつのまにやら、当時からはまったくへだてられた世界に出てきたようです。 これまでには、いうまでもなく、いろいろな変化がありましたが、とくに、まだおさないながらも子をもつ身になってみると、「早世」という事態が、まったくべつの相貌を見せることに気づき、あらためて愕然としました。 |
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昨日1日、このモブログ≪MIXTURA≫は、開設から3周年をむかえました。
また、母屋のサイト≪わたなべじゅんやウェブページ≫は、明後日4日をもって、5周年をむかえます。
ごらんくださっているみなさまの、日ごろのご恩顧に感謝申しあげます。
がんばらないで、だらだらとしているので、長つづきするのはあたりまえですが (笑)、今後もどうぞよろしくお願いいたします。
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かすみがかかっているのか、黄砂がとんできているせいか、うすぐもり。 近所にさくらをみにゆくが、ゆうべの雷雨と強風で散りはじめていて、すでにところどころ葉ざくらになっている。 歩いてくると汗ばむような陽気だ。 かえってきてから、ことしはじめて扇風機をつかった。 きょうから新年度にはいった。 わたしにとっては、勤務先がかわった昨年ほどの大きな変化はないが、学校教育法の改正にともない、わたしも帯びている「助教授」という職名が「准教授」にかわった。 しかし、これに慣れるには時間がかかりそうだ。 |
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