朝、はげしいにわか雨。ひるから暗いくもりぞら。
白百合の非常勤の日なので仙川にゆき、ふたこま授業をするが、いちにちぢゅう、ねむ気がふりはらえない。
帰宅後、なんども寝入りそうになりながら、パラントの翻訳の手なおしをどうにか終え、夜、添付ファイルで入稿。
訳書はパラントの歿後ちょうど80周年にあたる8月5日に刊行の予定。
晴れて、真夏なみの猛暑にみまわれる。
東京の最高気温は36.2度で、6月としては観測史をぬりかえる新記録だという。
午前中ふたこまめの授業をつとめ、おわったあと町田に出て買い物をする。
お中元も買っておくべきだったが、暑さでふきとんで、わすれた。
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| きょうの夕方、買い物からかえってきたら、わが家の塀にそって、体長150c mほどのへびがいました! アオダイショウでしょうか。わたしのすんでいるところは、まわりぢゅう住宅地 なのに、まさかこんなのがいるとはおもいませんでした。 意外とすばしっこく、側溝へ消えてゆきました。かろうじて、2枚撮影しまし た。 |
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| わたしは酢と名のつくものがことごとくにが手で、いくら健康によいといわれて も、黒酢なども問題外というふうだったのですが、例外があらわれました。 石垣島で泡盛「八重泉」をかもしている八重泉酒造の黒こうじ酢です。 酸味が前面に出てくることがなく、むしろわたしの好きな苦みとコクをさきに感 じます。 そのあとで酸味も感じますが、米が原材料なのにくだもののようなさわやかな酸 味です。氷水で割ってのむと、のどのかわきが癒えます。 たとえていえば、よく熟したトマトを冷やしてまるごとたべたような感じです。 わたしにとっては例外的に、毎日おいしくのんでいて、1週間で900mlびん が半分ちかく空きました。え、飲みすぎ? |
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つゆの中やすみで、きのうもきょうも真夏日でした。 |
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| Yahooでインターネット検定というものがありますが、とりあえず、受験したところ合格しました。 で、昨日、こんなん来たんですね。 結構、よいかも。 |
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| 次々と咲き始めました。 地味な色遣いの花がよいです。 種は某氏からの頂き物です。ありがとうございます。 |
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ひどくつかれがたまっているらしく、全身がだるい。
たえがたい溽暑だが、冷房は28度にならないと、おおもとでのスイッチがはいらないので、きょうはぎりぎりアウト。汗だくになって授業をする。
温度だけの問題ではないことはあきらかで (じっさい、これまでで冷房のはいっていた日で、体感的にはきょうより涼しい日もあった)、たとえば不快指数のようなものを基準にしてもらうことはできないものか。
テニスをしている女子学生の話では、日焼けで頭皮がいたくなるそうだ。シャワーでお湯をかけるととびあがりそうになるという。
ながい髪の毛でおおわれていても、紫外線のほうがまさってしまうらしい。
きっと、からだにもわるいだろう。
きのうお目にかかった、個人的に尊敬している先生が、わたしのホームページをごらんくださったとのことで、ひとにみせるためにつくっているはずなのに、逆説的にはずかしくなる。
はじめのページのあひるの絵が、わたしに似ているとおっしゃってくださる。
「かいたひとに似るというのは、なにをえがいても、けっきょくは自分をえがいているからですね」とおっしゃったので、たしかにそのとおりだとおもう。
脈絡もなく、とりとめもなく、このような話を書いているのは、もちろん逃避である。いつくもの仕事、いつくもの問題、いつくもの煩累からの逃避である。
夏至。たまたま梅雨の中やすみにもなり、とても暑くなる。東京の最高気温は28度。しかし湿度のせいか、さすような強い陽ざしのせいか、それ以上に暑く感じる。
午前中ひとこまだけの授業をおわらせ、はやばやと帰途につく。火曜はらくな日だ。
かなり寄り道をして、あれこれ買い物をする。必要なもの、必要ではないがほしいもの。ふだんあまり買わないものを買うと気分がいれかわる。
わたしがいま住んでいる家を一昨年わたしに売ってくれた (つまりまえのもちぬしの)、わたしの親の世代の夫婦に偶然行きあう。なつかしさのあまり、こちらから声をかけ、しばらく話した。
こちらからは、その後とくに問題もなく住んでいることをいい、相手からは、お子さんはかなり大きくなってきたでしょう、などといっていただいた。
しかし、考えてみればこのような関係の場合、ふつうは名のりをあげたりしないものなのだろう。
これもまた、わたしの十全ならざる社会性のあかしで、相手によっては当惑させてしまうのだろうなあ、とおもいかえす。
帰宅してみると、子どもは、もうすっかり夏の生活パターンになっているようで、午後はほとんどずっと昼寝をしていた。
パラントの翻訳の出版を相談している出版社から、夜、返事があり、ささやかなかたちでも出せることがはっきりした。
さっそく、フランスでパラント研究をしておられるステファヌ・ボーさんにメールを書き、序文を依頼する。
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| 拙宅の庭では、花ざかりのラヴェンダーのかおりがとてもよく (花だけでなく、 葉や茎もかおりがすることにいまさら気づきました)、きょうはいそがしそうに みつばちが何度も来ていました。 この写真の画面のちょうどまんなかあたりに、みつばちがとまっています。 ラヴェンダーのはちみつは、どんな味がするのでしょう。はちさん、ちょっとわ けてくれないかなぁ。 |
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つゆの中やすみの晴れ。あつくなる。
きょうは学会にゆくはずだったが、子どもがじんましんを出し、皮膚科にて受診。最近、乳製品 (とくにヨーグルト) を過剰に摂取しているというと、おそらくそれが原因だろうという診断になる。まるでこちらが診断を誘導したようだ。しかし、アトピーなどではないとのことで、たいした問題ではなさそうだ。
そういえばこの子は以前、ほうれんそうでもじんましんを出し、それいらい、小松菜にきりかえたのだった。アレルギーのもとになりそうなものは、さけるにこしたことはない。
そのことからの連想で、「発がん性のものは、いっさい遠ざける」とおっしゃって、とてもお好きだった酒類もすっかり絶たれた知り合いの先生のことをおもいだす。
スーパーで買いものをする。ヨーグルトのつぎにこの子がすきな、ふじりんごを買う。大好物のヨーグルトをまったく絶つことはできないので、りんごをまぜて増量する作戦。
店さきに、ふじりんごとおなじような色のトマトがならんでいたので、これも買う。独身のころ、トマトを買ってきては、冷蔵庫でしっかり冷やして、まるごとかじっていたのがなつかしくなり、ひさしぶりにそれをしてみたくなったから。
今夜、ひさしぶりにたちよったワッフル屋で、かつて奥の壁に書かれていたふるいカンツォーネ「セレナータ La Serenata」の詩句と、入り口にちかい壁に書かれていた「理想のひと L'Ideale」がすべて消され、あたらしい絵がかざられているのに気づいた。また思い出がなくなったような気がして、さみしくおもった。
「過去をたしかめるためにいるのではない」と截言するだけの精神の強さは、あいにく、わたしにはない。
いちにちぢゅう雨。
白百合女子大に出勤するとき、いつもとちがうルートをとりたくなり、かなり早めに出発して、鶴川街道をのんびりとはしるバスで調布に出てみる。
鶴川街道は、稲城市をまるごと縦貫している。
稲城はあたらしいまちで、とくに中心街は、まあたらしい道路が碁盤の目のように整備されている。
しかし、その碁盤の目のなかに配置されているのは、なしの果樹園が多い。新興住宅地ととなりあって、果樹園があるのはなかなかおもしろい。
バスが矢野口にちかづくと、まちなみはふるくなる。多摩川の右岸にそって、細長くふるいまちがつらなっている。
多摩川をわたると、ほどなく調布についた。電車にばかりのっていると、はやいことははやいが、迂回しているので、意識のうえでは空隙になっているところがある (小田急沿線から京王沿線というように、ことなる沿線にゆくときは、とくにそうだ)。バスにのると、じつは平面でつながっていることをおもいだす。
白百合では、ちょうど講演会のある日で、先生がたも学生のみなさんもいそがしそうだった。
非常勤で出講すると、大学への帰属からいちおう自由になって、気らくで、解放された、おおらかな気分になる。もちろん気分だけの問題だが。
ふたこまの授業を、いつもどおりつとめる。やすみ時間に階段ですれちがったまじめな1年生が、早くも期末試験のことを問いあわせてきたので、あわてて考えてその直後の授業で予告する。
かえりは、これまたいつもとちがう経路で、新宿にでる。
出版社のかたとまちあわせて、パラントの翻訳の出版について相談する。
さっそく体裁、発行部数、価格などの具体的なシミュレーションをしてくださることとなる。
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| すこしまえのことになりますが、絶版で、まぼろしの書物だったパラントの訳書(わたし自身は、以前、のんきちさんからお借りしてコピーをさせていただいておりました)を、ぐうぜんネット古書店「文雅新泉堂」で見つけ、購入しました。 『ペシミズムと個人主義』『個人主義社会学』の2冊です。 |
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| 拙宅の庭のラヴェンダーです。 1枚目と2枚目が、昨年種から買ってきてそだててきたもので、昨年はまだ花をつけなかったのですが、ことしはとてもよくしげり、穂先までの茎が70cmくらいあります。 3枚目は、昨年「やはり種からではなかなか育たないか」とおもって苗で買ってきたものですが、こちらは30cmくらいです。 |
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わたしは大阪にうまれそだった。しかし、両親はともに愛媛の出身で、瀬戸内海にめんしたちいさなまちが、夏には「コンブレー」のようにかえってゆくところだった。
それなので、わたしにはふたつのことなる郷愁がある。大阪にたいしてと、愛媛にたいして。
新幹線で新大阪につき、在来線にのりかえて、かならず関東より暑い大阪の空気を感じ、腹から声を出して話す大阪人たちの声をきくと、酔うような熱い気もちになる。
たとえていえば、ナポレターナの『太陽の国 'O paese d' 'o sole』だ。多弁で、圧倒的な情熱がおもてだっている。
Ogge stò tanto allero きょうはめっちゃうれしい ca, quase quase me mettesse a chiagnere pe' sta felicità. しあわせで ほとんど泣いてまいそうや Ma è vero o nun è vero ca so' turnato a Napule? ほんまにナーポリにかえってきたんやろか Ma è vero ca sto ccà? わしがここにおるのはほんまか 'O treno stava ancora int' 'a stazione 汽車がまだ駅にとまっとるときから quanno aggio 'ntiso 'e primme manduline. マンドリンがきこえてきよったChisto è 'o paese d' 'o sole,
ここが太陽の国や
chisto è 'o paese d' 'o mare,
ここが海の国や
chisto è 'o paese addò tutt' 'e pparole,
ここやったら どんな言葉かて
sò doce o sò amare,
甘うても 苦うても
sò sempre parole d'ammore.
なんでも愛の言葉や
それにたいして、愛媛にゆくと、おだやかな海がすぐそばにあって、それに見あうように、ひとびとものんびりしている。
これまた、たとえていえば、カルロス・ジョビンの『ジェット機のサンバ Samba do avião』だ(ブラッサンスの地中海ものも近いものがあるが、さきにうかぶのは『ジェット機のサンバ』だ)。
曲も、ボッサ・ノーヴァだけあって、はねあがるようなナポレターナとはちがい、しずかで、しかし潮がみちてくるように徐々に高まってくるよろこびをあらわしているようだ。
Minha alma canta ぼくのたましいはうたう Vejo o Rio de Janeiro リオ・デ・ジャネイロがみえる Estou morrendo de saudade ぼくは郷愁で死にそうだ Rio teu mar praia sem fim リオ、おまえの海、果てしない浜 Rio você foi feito pra mim リオ、おまえはぼくのためにできている Cristo Redentor キリストの像が Braços abertos sobre a Guanabara グアナバーラ湾にむかって腕をひろげている Este samba é só porque このサンバがあるのは、ただ Rio, eu gosto de você リオ、ぼくはきみがすきだから
ふたつの郷愁のあいだでまよったあげく、ことしの夏は、息子をはじめて瀬戸内海でおよがせるために、愛媛に行こうときめた。
教員はだいたい、教育的不寛容の仮面をかぶらなくてはいけないものらしい。
ただでさえそんなことはにが手なのに、語学技能をおしえる科目をいくつかもっていると、なおのこと、勤業の美徳をかたるひとにならなくてはいけない。
いうまでもないことだが、わたしにはそれがたえがたい。
しかたがないので、なるべくなにもいわない。
しかし、逆方向のこともなるべくいわない。
それによって、勤業が奨励されているとかってに解釈してくれるひとがいればそれはそれでよし。
そうはおもわないひとがいれば、それは、、、やはり、それでよしといわざるを得ない。
だって、もともと、勤業が美徳だと証明できるわけではないのだから。
大学4年間が、長い夏休みだとか、なまあたたかい寝床だったとしたら、いったいどうしたというのか。問題はそこにはない。
教育的不寛容の言説は、やれ授業には規則的に出席しましょうだの、課題はこつこつとすすめて毎回提出しましょうだの、些末かつ表面的なところに向かいやすい。
こうした「教育」がつもりつもって、大学は小学校化し、社会は学校化しているのではないか。
できるだけ、そこにははまりこみたくない。
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| パリのイエスズメさんたち。 母子がリュクサンブール公園の花壇で、ピンクや紫のお花を食べていました。 水浴びをしているのはシャンドマルス公園です。 |
[ Posted via CALA-MOBLOG-MT ver 1.10 rel (2005.Feb.20) ]
油谷耕吉先生に先日お目にかかったとき、先生のお書きになった雑誌記事をいただいた。
堀口大学による訳詩の文体の変化を例にとって、どのような文体がよいのかをあざやかに示しておられる。
本当は全文紹介したいくらいだが、それをすると著作権・版権の問題がありうるので、言及のための必要最小限を引用する。
アポリネールの『動物詩集』(1911)に≪猫≫という詩がある。この堀口大学訳は七通り刊行されているが、そのうちのふたつを並べてみよう。
「私は希望する私の家の為に
理性のある一人の女と
夫(それ)なしには春夏秋冬
私の生きて行くことの出来ぬ友人と、
書物の間を歩きまはる一匹の猫とを」
「わが家に在って欲しいもの、
解ってくれる細君と
散らばる書冊のあいだを縫って
踏まずに歩く猫一匹、
命の次に大切な
四五人ほどの友人たち。」
前者は大正八年(訳者二十七歳)、後者は昭和五十三年(訳者八十六歳、なお、この三年後に堀口氏は他界された)に、それぞれ刊行された訳詩集に収められている。この違いはどうだろう。勿論、後のものが格段によく、それは一読してお分りのことと思う...
[中略]
「彫心鏤骨」というが、その訳業に、詩人堀口氏は骨身を削って言葉を探した。そして私は、氏が死の床から示したという次の詩の「軽さ」に打たれる。
「水に浮かんだ月かげです
つかのま浮かぶ魚影です
言葉の網で追いすがる
百に一つのチャンスです」
--------『こころを耕す』11、p.21
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今年も行ってきました。ただし、今回は前泊で。前泊して登るのは実に30年ぶりくらいだったりします。
宿泊は「にしぎ」さん。
で、翌朝は5時起床。 6時女人結界門をスタート。 前日の雨でコンディションは悪いです。
もう一度、旅荘に戻って、一風呂。
昨年は大峯山も世界遺産に登録されましたが、洞辻茶屋の主人曰く「かえって人が少なくなっているようだ」とのこと。
まぁ、何だかんだいって、無事に帰着しました。 |
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教壇にたっている夢を、けさがた、ひさしぶりにみた。
その種の夢は、かならずといっていいほど悪夢だ。しごとであるというだけでもつらいのに、夢のなかでは、かならずといっていいほど立ち往生するのだ。
けさがたの夢は、フランス語のディクテをさせるのだが、題材となる文面がどこにもなく、しかたなく記憶にたよって口述して、しどろもどろになり、学生たちから(適切にも)ブーイングがおきるというものだった。
...正夢にならないよう気をつけよう。
愛読している田中小実昌から引用します。
これは、のんきちさんのところに書き込みしたものですが、じぶんのところにのせておくと、また引用したいときに見つけやすいので、いわば再掲です。
女性の服装や化粧や流行について、悪口をいう男性がいるが、そのために、自分が被害をうけているのならともかく、女性たちがどんなかっこをしようが、どうだっていいではないか。
太腿むきだしのわかい女のコの、ぶっちぎりのジーパンの悪口をいうのなら、自分のネクタイ姿の暑くるしい感じを反省するべきだろう。
まして、夏いくら暑くても、キミ、服装だけはきちんとしなきゃだめだよ、と衛生にもわるく、また見ただけで汗がでそうな服装を部下や後輩に強制するおじさんたちは、まさに、世に害悪をながすものであります。
こういうおじさんたちが、きちんとした服装を、夏の暑いさかりでもやるために、会社も役所も、冷房費がかさむ。おじさんたちは、その冷房費を自分で払うわけではないから、平気だろうが、それは商品の値段のなかにはいっていたり、税金だったりして、ぼくたちのふところにひびいてくる。
(中略)
女性は流行によわくて、と男どもは悪口をいうけど、ネクタイだって、流行ですよ。ニホンの気候にむかないネクタイなんて流行を、しかも、十年一日どころか、なん十年一日のごとく、ばかばかしくつづけている。
ネクタイだけでなく、クルマも流行品で、これはまた、金がかかり、公害のもとであり、ときには、ひとをぶっころしたり、けがをさせる、ぶっそうな流行品だ。
男性の流行品は、クルマみたいに実用品づらをしたものがおおく、女性も、男性自身もだまされている。
ぼくたちのまわりには、気がつかない流行品が、じつにおおいのではないか。たとえば、靴なんてのも、西洋からはいってきた流行品だろう。
西洋は寒いところもおおく、靴は実用品だったかもしれないが、ニホンでは、靴は流行品だ。
(中略)
靴だって流行品で、戦争も、やはり流行みたいなものだろう。
---------『また一日』pp.73-75.
| 生涯、身につけることの出来る腕時計を何年も探していて、それなりの候補は色々ありました。
この時計を2000年に見つけ、2003年7月にようやく購入できました。 残念ながら、このモデル「phoenix」は、2003年末に生産を終了してしまいました。
1)防水であること 1はバイクに乗る、登山などのアウトドアに出ることから。 この時計は3つとも条件を満たしています。 腕時計はスーツの袖からチラチラ見える<粋>を追求する小道具の一つです。 さて、この時計は自動巻き、つまり、機械式です。 このブランドの時計は、最低30年間の部品の在庫を保証していますので、恐らく死ぬ頃まで修理は十分可能です。 |
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